2009年07月09日

香りの道 3

 岐阜県に限れば国道並みの林道もあるがたいてい無舗装の林道の延長キロは車道より長いのではないだろうか。都会の雑踏がいやになれば岐阜県の山内に入り奥山に向かって1時間も歩き続ければ騒音、人声から閉ざされ梢をゆらす松籟や谷川のせせらぎが雅やかに聞こえるだけになる。いきなり環境を変えると淋しすぎて戸惑うが静謐は本来人間が望んでいるのか故郷に帰ったようにくつろげる。歩いても歩いても代官屋敷の通路のように形のよい高木は高灯篭が脇を固めるようにして林立しており鬱屈している気分ものびやかになる。峠から見下ろす風景は感動するが、吐息の音を聞きながら駆け上れば照葉樹や常緑樹の梢が天井となり自然の計らいを見つめることは別趣の爽快さがある。
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2009年07月08日

香りの道 2

 羊腸の山路をあわてず登り、折り返しで休憩しながらの登山行である。高くない山稜が襞をなして近くに見え瞭然とする風景が見えることはない。そのためか孤独感はそんなになく体勢を整えるには好都合である。スローペースが幸いし疲労もなく杉林に入るが高度が高いせいか寺院の境内にあるような樹木はなく若杉が間隔をおいて生えており明るい樹下を歩度を緩めず登る。このような林が自宅の近くにあればどんなに寛げるだろうと思いながら梢を見上げながら通過するうち時代劇にも利用できる古道に満足する。
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2009年07月07日

香りの道 1

 三叉路を少し奥にはいると道標が見え、香りの道へのスタートを切る。男性の頭を刈り上げしたように山裾には若葉もなく山肌がじかに見え、仰ぎ見ると山頂部分は暗緑色の杉林が途切れることなく上方に弧を描くように繁茂している。木組みの山道はイロハ坂みたいにつづら折を呈しており体調はよいものの気合を入れなければ登り切れないと気を引き締める。山間ながら薄雲の空から陽光が一面に照射し深山ながら農家の縁側のような長閑さがある。ついに急斜面を踏み出したが踏面には越冬したときの落葉はなく誰かが清掃したらしく安心して歩くことができる。
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2009年07月06日

さえずりの館

 車の行き違えもできる山道はカーブはきついがほぼ水平である。人家からは隔離しているので実に静かであり気をそらすものがない。予測のないまま進んでいくと比較的見晴らしの良い場所に東屋がぽつんと見える。ここがさえずりの館であり屋根下にすわってみた。はるか遠くに里山が連なりその手前には平野部もわずかにみえる。人家が見えないためそこがどのあたりか詮索してはみたもののしだいに静謐な景観に寛ぎだし場所の所在地にはこだわらなくなった。人声ひとつないところでも鳥のさえずりはなく時期が少し早いためと推測し耳を澄ますのを止めた。森の華やかさの恩恵は享受できなかったが、高所の東屋から遠望していると虚空を遊泳する彩雲のように見えない空気が全身を駆け抜けるのを体感しているとさえずりの関心は忘れてしまった。
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2009年07月01日

裸足のみち 6

 日光が照射するわけではないが疎林のためか薄暗くはなく明瞭な魂魄を保ち下草のない山道を歩行する。足元がすっきりしていると先に進みたくなるのは誰でも同様な気持ちであり無音に近い山内ではあるが大地の陰翳が少ないため悄然とすることなく呼吸を共にする。杉林の中を進むうちに切通しの山道に交差する。簡易舗装であり幅3メートルはありそうでこれほどの深山に山肌がずっと削り取られているのには少し興ざめしたが「さえずりの館」と書かれた道標を頼りに右に進路を進めた。
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2009年06月30日

裸足のみち 5

 路面は丸石や砕石があるわけではないので歩きやすく、踏み固められた古道のため足音もせずアスファルトになれた感触からすると靴が沈むようである。森の静寂を妨害することもなく直線の山路をわき目も振らず登っていると左側に「裸足のみち」と書いた標札が見え左折することにした。それからは上り傾斜がさらにきつくなり脇道を登っているように思える景観が続きいくぶん心細くなってきた。山頂に向かって伸びていた山路が右折し山腹を真横に進むようになると緩傾斜となり間伐されている若杉が格子状に植林してあり迂遠となるこの道を選んだことが幸運と言えるくらい美しい。代官屋敷を訪ねると長い通路の両脇に檜や杉が等間隔に植えられているがそのような味わいがこの場所でも体験することができる。
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2009年06月29日

裸足のみち 4

 しばらく歩くと谷川からどんどん離れてしまい瀬音は聞かれなくなり、野鳥のさえずりもなく、梢の揺れる音もなく平和な森だけがありそのような荘厳な時空の中での対峙方法がにわかに浮かばなかった。森のしじまには慣れたこともありひたすら内心を見つめ虚心坦懐に偽らざる自然から学びたいと心がけるようになった。静けさが退屈するようでは思索が浅いと思うようになり、自分の足音と呼吸しか聞こえない境遇は至上の喜びを見出す境遇と思わなければならない。このような場合、精神修養の機軸として呼応する隣県にある永平寺には再三参詣しているが鎮守の森に包まれた境内は座禅を組み瞑想するにはふさわしいと想起してしまう。まっすぐ伸びた杉林の樹幹が整然と並んでいる樹陰の中を無言で歩いていると精霊が見守っているようであり、純真な自分を見つけることができる。
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2009年06月24日

裸足のみち 3

 積雪が浅かったためか水量は少なく傾斜はそれなりにあるにもかかわらず瀬音はやさしい。飛騨小坂の深山に入るとオーケストラが奏でるような激流に遭遇できるがその感動に比べればデパートのBGMのように控えめな音色である。高木の杉林の川岸にはそま道程度の山路があるが雪のない季節の今だから朽ちた杉葉の上を迷わずに進むことができる。清流の川床には魚が泳いでいてもよさそうだが小魚さえも見当たらない。山路は川岸ばかりには通じておらず神社の参道みたいに左右に巨木を配した箇所もしばらく続き樹陰を落ち着いて歩くことができた。上流に行けども川相はかわらず前栽の中を流れる小川のようなせせらぎは心を奪わず歩みをとどめず登ることができた。
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2009年06月23日

裸足のみち 2

 15分ぐらいクルージングするとせせらぎに沿う山道の入り口に着いた。西洋文学を好んで読んでいるが、ゲーテ時代は馬車しか交通手段がなかったわけだから目的地まで来るのにずいぶん楽しており、そのことに感謝すべきことなら山内体験を感銘するくらい吸収せねばならないと気色ばむ。晴れてはいるが木漏れ日がカクテル光線のように照射するでもない。青空のない空ではあるが雨の心配はなくせせらぎ沿いの山道を登り始めた。川道2メートルくらいで浅瀬の流水は透明でしかも瀬音はとてもゆかしいので丸太を通しただけの踏み板の中央に止まり清雅な流水を見つめることにした。
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2009年06月22日

四美の森裸足のみち 1

 4月12日午前9時、南飛騨健康道場に着く。既に来たことがあるのでここに駐車せず山道をゆっくり走行することにした。もちろん車や行楽客に出会う心配はないので緊張することはない。いつもこのような道路を選んで走るためドアを閉め外気にも触れず松籟も聞かずせせらぎも目に入れないのは山内の感動を拒否するようなものであるから前席のガラスを下までおろす。歩いているときのようには自然を体感することはできないがさわやかな空気が車内を舞い上がり車外との一体感を享受できるので気分が一新する。
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